大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和39年(ヨ)129号 判決

申請人 松田寿美

被申請人 平仙レース株式会社

主文

被申請人が昭和三九年一月一四日付で申請人に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。

被申請人は申請人に対し金一万二、一〇〇円および昭和三九年一〇月一日から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金一万八、一五〇円を支払え。

申請人のその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求める裁判

申請人代理人は、「被申請人が、昭和三九年一月一四日付で、申請人に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。被申請人は申請人に対し昭和三八年一二月一日以降月額金一万八、一五〇円を毎月二五日限り支払え。」との判決を求め、被申請人代理人は、「本件申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との判決を求めた。

第二、申請人の本件仮処分申請の理由

一、申請人は、昭和二九年四月一日被申請人会社(以下単に「会社」ともいう。)に従業員として入社し、会社製造課第一係補修班にてレース補修作業に従事、昭和三五年三月頃より班長心得の地位にあり、かつ同社従業員をもつて構成する全国繊維産業労働組合同盟平仙レース労働組合(以下「組合」という。)の一員であつた者である。

二、申請人は昭和三八年三月一一日より椎間軟骨ヘルニアのため休業療養し、同年九月一〇日頃、会社より労働協約(旧)第二一条に定める休職処分(期間一年、無給)をうけた。

三、しかし、その後申請人は医師より就業可能の診断を受けたので昭和三八年一一月中旬頃会社に対し医師の証明書を添えて同年一二月一日より復職を請求したところ、会社は復職を承認しないばかりか、昭和三九年一月一四日突然申請人に対し解雇の意思表示をなすに至つた。

四、右解雇の意思表示は懲戒処分としてなされたものであるところ、申請人には懲戒解雇さるべき事由はないのみならず、右解雇は申請人の組合活動を理由としてなされたものであるから無効である。即ち、

(一)  昭和三一年一二月会社従業員により平仙レース労働組合が結成されたのであるが、右組合結成は、当該従業員(大部分女子)間に労働の強化や、会社の労務政策に対する不満があり、申請外中村トミ子らが中心となり準備せられていたものであるところ、事前に会社にもれ会社幹部より組合結成を思いとゞまるよう強硬に圧力をかけられ、会社の諒解する労使協調路線を進む組合を結成するということで当初の準備活動の主役ではなかつた男子従業員から役員が選出されて組合結成をみた。

(二)  組合結成後は幾分労働条件の改善をみたものの、実質的な労働強化は行われる一方、会社も組合も全繊同盟の系列に属しない労働者との交流を制限し、申請人らがこれを企画すれば禁止し、或はこれを強行すれば尾行をつけて後家庭を訪問し、注意を促し、会社ないし労務課は文書で民主青年同盟を非難し、これに所属すると思われるものの寮委員を会社は拒否し組合もまたこれが執行委員に当選すれば辞退を強要した。また、通勤の許可や職場配置の面でも会社は民主青年同盟に所属すると思われるものを差別し、従業員の自由な組合活動を制限してきた。

(三)  申請人は昭和三一年一二月組合結成と同時に同僚と語らい、ダンスサークルを結成しこれがダンス部に昇格するや部長を歴任し組合員のダンス指導にあたり、組合内部で活動するばかりでなくさらには組合員有志と共に附近地域内の労働組合や青年のサークルなどと共にダンス、演劇等を通じて交流して来た。本年解雇処分は、申請人の右のような過去の実質的組合活動及び労使協調をいう組合とは離れてこれに批判的な外部労働者と交流することを嫌悪し、将来申請人の復職后の他の組合員(従業員)への影響を恐れて、申請人が復職にならぬうちにと急遽なされたものである。

五、次に、昭和三八年一二月一日当時会社と組合間に協定されていた労働協約(旧)第二三条によれば、疾病等休職事由が消滅し休職者が復職を請求するときは当然に復職し、爾後会社は原職に復帰させるか、別の職場を提供すべきものであるところ、申請人は前記のとおり、休職事由たる疾病快癒し、復職請求したのであるから、昭和三八年一二月一日より復職したこととなる。

しかるところ、申請人の賃金は一ヶ月金一万八、一五〇円、毎月二五日払とされていたのであるから、会社は申請人が復職請求した昭和三八年一二月一日以降毎月二五日限り申請人に対し右賃金の支払をなすべき義務がある。

六、よつて、申請趣旨記載の裁判を求めるのであるが、仮に、昭和三八年一二月一日には未だ休職事由が消滅していたとはいえないとしても、遅くも、昭和三九年二月には通院の必要もなくなり、健康体に回復していたのであるから、同年三月以降は復職しており、会社は賃金支払の義務がある。

第三、被申請人の申請理由に対する答弁並びに主張

一、申請理由第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実は認める。但し休職処分は九月一一日である。

三、同第三項の主張は争う。申請人が復職願を会社に提出したのは昭和三八年一二月一三日であり、その際添付した診断書は椎間軟骨ヘルニアと何の関係もない肺結核に関するものであつた。尤も、右復職願提出前に佐瀬医師の就業可能なる旨の診断書が会社労務課に提出された事実はある。会社が右復職願を承認せず申請人主張の日付で解雇の意思表示をしたことは認める。

四、同第四項の主張は争う。

被申請人が申請人を懲戒解雇したのは次の理由によるものであつて、申請人の組合活動を理由とするものではない。

(一)  二重就職

申請人は疾病による休職期間中であるにもかかわらず、かつ被申請人の承諾を得ることなく昭和三八年一一月七日から一週間位の間、飯能市中居の守田織物工場に勤務した。

右事実は就業規則第一六条に違反し労働協約(新)第二九条六項前段の懲戒事由に該当する。

(二)  会社の規律秩序を乱した事実

(1) 申請人は昭和三九年一月一二日及び同一三日の両日会社の承諾を得ずに無断で会社の附属寄宿寮に宿泊し、しかも一三日は会社から通達をうけたにもかかわらずこれを無視して宿泊した。

ところで寮生の私的生活については自治会の自治に委ねられていたけれども寮の設備の管理面は勿論従業員の入寮、退寮等に関する事項は、いわゆる会社の施設管理権の範囲に属し、寄宿舎自治の範囲外であり、病気で休職となつた者を退寮させること、病気休職中の退寮者がもし必要があつて寮に宿泊せんとする場合には会社の承認を求めること等はいずれも右管理権の作用に属するものであることは疑いのないところであり従来の取扱も右の見解に基いてなされていた。この見地において申請人の右行為が、会社の規律秩序を乱したものであることは明らかである。

なお、会社はいわゆる全寮制を採り、かつこの全寮制のもとに正規の浦和高等学校の通信教育を実施しており又若い女子の従業員ばかりの寮であるので、寮生活はその環境と相まつて極めて平穏なる一面寮の規律は厳正であり、この点他の一般寄宿寮と相当趣を異にする事情にある。申請人の行為はこのような寮生活の秩序を乱すと同時に会社の規律秩序を乱したものにほかならない。

(2) 申請人は右のように一月一二日夜無断で寮に宿泊したうえ、翌一月一三日午前八時一〇分頃会社の承諾を得ず出勤し、職場で作業を始めた。労務課大野係長心得はこれを知つて吃驚し、直属の上司たる水村製造課長に報告した。右水村課長らは直ちに職場に出向き申請人に退去を命じたが申請人は容易にこれに応ぜず、しばらく押問答があつた後、しぶしぶ職場を立ち去つた。申請人が作業に取りかかつてから職場より去るまでの時間は約三、四〇分位であつた。

以上の(1)の無断入寮、(2)の無断就業の事実は明らかに会社の規律秩序を乱す行為であり、労働協約(新)第二九条六項後段の懲戒事由に該当する。

しかして、会社は翌一月一四日、所定の手続である賞罰委員会を開催し、その議により、申請人を懲戒解雇と決定、正規の禀議を経て労働協約(新)第二九条第六項に該当するものとして懲戒解雇処分を発令したのである。なお右委員会の席上における組合側委員の要望もあり退職金等はこれを支給することにした。

被申請人が申請人を解雇した経過は以上のとおりであるところ、申請人が組合内部において活発にダンスの指導をした事実は、会社においては、いわば周知の事実であり、会社としては、組合内部又は他の組合等との交流による文化活動に対し、何らの干渉をしないことは勿論むしろ、組合側の要請があれば積極的に協力することを惜しまなかつたのであつて、申請人主張のごとき理由で申請人を解雇したのではない。

五、同第五・六項の事実中申請人が一ヶ月金一万八、一五〇円の賃金を毎月二五日払で得ていたことは認めるもその余の主張は争う。

(一)  疾病を事由として休職となつていたものが復職するには、就業可能なる旨の会社の医師の診断書を添えて復職願を提出するを要することは、労働協約(旧)第二三条但書に定めるところであり、就業規則第一一条にも同様に定められているところ、申請人は右復職に関する手続を何ら履行していない。前述のように昭和三八年一二月一三日提出した復職願の添付診断書は所沢保健所古沢医師作成のものであり、しかも休職事由たる椎間軟骨ヘルニアと関係ないものであつたこと前述のとおりである。したがつて復職の認められないこと当然である。

(二)  申請人は労働協約(旧)第二三条本文及び右協約につゞく新協約第二三条本文が適用されるべきであるというけれども右規定の本文は病気休職者には適用なく、いわゆる「社外派遣」等の場合に適用さるべきものであつて、病気休職の場合は同条但書の規定の適用がある。もし、右規定の但書を休職者の復職請求をまたずに会社が復職を命ずる場合の規定と解釈するとするならば、ある個人が受診を希望していないのに、その者に対し使用者が一方的に受診を命じ得ることとなり、右は個人の自由を拘束することになり憲法の精神からして法律にその根拠がなければ無効の規定と断ぜざるを得ないことになる。会社と組合が敢えてかかる無効の規定を設けるということはあり得ない。

右但書の規定については、就業規則第一一条にこれと全く同じ文言の独立した規定があり、これを協約の規定として全くそのまゝの文言を協約第二三条但書の規定としてくつつけた沿革があり、又本条の制定にあたつて先輩格にあたる東邦レース株式会社の労働協約、更にその他の諸会社の当該規定が参考にされたこと、なお病気休職中の者の復職にあたり「会社の医師」または「会社の指定する医師」の診断書を必要とすることが民間諸企業に於ける協約の一つの型をなしていること、以上のことから病気休職中の者の復職には但書の規定の適用があるべきである。

又仮に右規定の文言に法律的見地から、多少の不備、欠陥があるとしてもその規定の解釈運用については立案過程および当事者の意思ならびに慣行が重んぜらるべきである。

(三)  仮りに病気休職の場合に旧協約第二三条本文の適用があるとしても申請人の休職事由は消滅していない。一般に休職中の者が復職するための事由の消滅とは再びもとの業務に服し得る程度に健康が回復することを意味するものであるところ、申請人の健康状態は当時復職して正常の業務に従事出来る程度に回復していなかつたものである。

第四、被申請人の主張に対する申請人の反論

一、(一) 被申請人主張の懲戒解雇理由とする事実は争う。次のとおりいずれも懲戒解雇の理由とはならない。

(1)  二重就職について

申請人は、昭和三八年一一月上旬頃、自宅隣の守田織物工場に手伝いの目的で数日、しかも一日二、三時間の割合で自らの復職にそなえて体をならしていたにすぎず、一度に二つ以上の雇傭主のもとで継続して雇傭され二重に労働義務を負担するという実体を備えていない。

(2)  会社の規律秩序違反について

(イ) 無断宿泊について

入寮者が療養、その他のため長期欠勤しても部屋割荷物等は、そのまゝにしてあり、その長欠者が荷物をとりに来たり私用で寮に入る場合は寮務室に声をかけて部屋に入り同室の者に断つて宿泊するのが慣例であつた。申請人は右の従来どおりの慣例に従い、同室の者の拒否をうけることもなく、又何のトラブルもなく宿泊したのであるから寮の規律秩序を乱したことは毛頭ない。

(ロ) 無断就業について

従来、病気長欠者が職場に戻り仕事につく際も、当日作業衣に着替えて職場に行き班長ないし組長に挨拶すれば、あとは組長らが出勤簿に記入し、その旨上司に報告することになつていた。

申請人は右の慣例にしたがつて職場に現われたのであつて、又これによつて著しく職場の秩序が乱されたわけではない。

(二) 仮に申請人の右所為が懲戒事由にあたるとしても、申請人がかかる行動をとらざるを得なかつた事情、会社側のそれ迄の態度を考慮にいれれば解雇処分は重きに失する。右処分は偶然発生した事件に藉口してなされたもので懲戒解雇権の濫用であり無効である。

二、(一) 労働協約(旧)第二三条は、「休職期間が過ぎた者又は休職期間中であつてもその事由が消滅した者は会社は復職させる。但し休職期間中であつても会社の医師が就業可能であると認めたときは会社が復職を命ずることが出来る。」と規定している。休職事由は大別して疾病と自己の都合による場合(同協約第二一条、就業規則第一〇条も略同一)であつて、従業員の子会社への出向、派遣の場合は規定の体裁上休職事由とならないものと考える。右を前提にして協約第二三条本文をみると「休職期間が過ぎた者」も「休職期間中であつても」ということもいずれも疾病もしくは自己都合により休職していた者を指し、それらの者の休職事由たる疾病、都合がなくなれば「その事由が消滅した者」として会社は当然に復職させる。ただ例えば疾病が回復したとたんに自動的に復職しているというわけではなく、休職者の方で事由の消滅を証拠を添えて申告すれば直ちに復職し、会社は具体的に原職に復帰させるか、それが不可能なら別の職場を提供するかして復職者が勤務可能なように取計らわなければならない義務が生ずる。つまりいわゆる復職請求は形成権の行使であり補職を待つまでもなく請求と同時に復職し、休職中の一切の不利益がなくなり賃金請求権も発生する。これとは逆に同条但書は会社が復職を命ずる場合であり、会社の医師が就業可能と認めれば休職者のいわゆる復職請求を待たずに復職を命ずることができるというものである。又就業可能の認定主体が右旧協約の「会社の指定する医師」が、新協約では「安全衛生委員会」へ変更された事情が万全を期することにあつたことを考慮すれば、事由消滅の証拠は、本来、疾病者であれば入院先又は担当医の診断書が第一に重要であり、会社の医師の診断書を一律に必要とすることは全く合理性がないばかりか、右会社医師の専門外の病気で休職している場合にも会社医師の診断書を要求するがごときは、およそナンセンスである。

(二) 申請人はその休職の原因となつた病気が快癒したので、専門医であり、かつ、入院先の佐瀬医師の「就業可能」の診断書を予め提出し、昭和三八年一一月三〇日、会社に対し口頭で同年一二月一日よりの復職を請求したものである。

第五、被申請人は申請人の権利濫用の主張に次のとおり抗争した。

一、申請人主張の一(二)の解雇権濫用の主張は時機に遅れた攻撃方法であるから却下さるべきである。

二、解雇権濫用の主張は争う。

なお本件解雇については懲戒解雇の手続がとられてはいるが、その賞罰委員会の席上において、組合側の要求を容れて予告手当や退職金の全額が支払われていること前述のとおりであり右事実は仮に本件解雇が解雇権濫用の疑があるものとされる場合においても、事情として充分に勘案さるべきである。

三、仮りに、本件解雇が権利濫用の故に無効を認められるとしても、昭和三八年九月一一日休職発令の日より起算して一年を経過した昭和三九年九月一〇日をもつて休職期間満了により当然退職し(就業規則第一三条)ているから、本件申請は棄却さるべきものである。

第六、証拠(省略)

理由

一、申請人は昭和二九年四月一日会社に従業員として入社し、同社製造課第一係補修班にてレース補修作業に従事し、昭和三五年三月頃より班長心得の地位にあり、かつ同社従業員をもつて構成する全国繊維産業労働組合同盟平仙レース労働組合(以下「組合」という。)の一員であつたこと、申請人は昭和三八年三月一一日より椎間軟骨ヘルニアのため休業療養し、同年九月一一日会社より旧労働協約第二一条に定める(期間一年、無給)休職処分をうけたことおよび会社は申請人に対し、昭和三九年一月一四日付郵便をもつて解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。(尤も、申請人は、申請人が休職処分とされたのは九月一〇日頃であると主張するけれども、申請人が同年三月一一日から休業療養したことは当事者間に争いなく、このことと成立に争いない疏乙第一号証により申請人は旧労働協約第二一条第一号により欠勤六か月になつた同年九月一一日から休職処分にされたものと認められる。)

二、本件解雇に至るまでの経緯

成立に争いない疏乙第三ないし第五号証、同第七号証、同第一九号証、申請人本人尋問の結果成立の真正が認められる疏甲第一ないし第一〇号証、証人染谷仁三、同山田泰宏、同佐瀬昭、同北村士守(第一回後記信用しない部分を除く)、同水村忠夫(後記信用しない部分を除く)の各証言に申請人本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く)を併せ考えると次の事実が認められる。

申請人は昭和三四年二月から翌年四月まで腰椎カリエスと急性肋膜炎ということで田中医院にて入院加療し、その後職場に戻つたのであるが、昭和三八年二月頃から腰痛が再発し、三月一八日会社に対し六か月の病気による休暇願を提出したうえ、飯能市の佐瀬整形外科病院に入院加療した。病名は椎間軟骨ヘルニアということであつたが、その後右症状も軽快し、痛みもなくなつたので同年九月一一日退院した。しかしその際は右佐瀬医師より自宅に帰つても当分ギブスベツトに入つて寝ていること、最低六か月間はコルセツトをつけること、治療のため通院すること等の注意があつた。

申請人はその后しばらく自宅で療養していたが、同年一〇月下旬から一一月初旬にかけて親しく付合いをしていた近くの守田織物工場の主人に手伝いを頼まれ、また申請人も身体を慣らすのに丁度良い機会だと考えて一日二、三時間位づつ約一〇日間にわたつて糸干し、糸繰り等に従事し、(翌一二月に入つてから、右手伝の謝礼として一、二〇〇円位を貰つた。)次いで同年一一月一一日頃申請人は佐瀬医師に申請人の病状と会社の職場復帰について相談したところ軽作業なら働いても良いということだつたので「病名根性坐骨神経痛椎間ヘルニア、右症により加療中の処、経過良好、就業可能なるも軽作業に従事、通院加療を必要とする。」旨の同日付の診断書を貰い、その頃右診断書を会社に提出し、同月三〇日、会社寮務室で製造課長の水村と申請人の職場の係長である新井治行に対し、「医師の方もいゝというし、自分ももう働ける自信がついたから明日から働きたい。」と申し入れた。しかし、同人らは極力療養継続を勧め、どうしても働きたいなら協約に従い工場医の診断書を会社に提出しなければならないとして受け入れなかつた。そこで申請人は一二月二日工場医の田中医師に診断書の作成を求めたが診察も治療もしていないからといつて断わられたので、数日後会社に行き労務課長の大野と染谷に逢い、その旨を告げた。

次いで申請人は、会社の保健婦から年一回会社で行う定期の健康診断を受けていないから所沢の保健所で健康診断をうけて来るようにいわれたので、一二月六日右保健所において血沈検査とレントゲン撮影をしたが胸部には何等の異常もないということであつた。

そこで申請人は、同月八日、父親と共に会社に行き復職したい旨の挨拶をしたところ、染谷課長は申請人に適した職場を探して連絡するといゝ更に同月一〇日会社で大野係長心得と逢つた際にも同人は「補修は今人員を減らしているから補修に帰すわけにはゆかないからほかの職場を探すから会社から連絡が行く迄会社えは来ないように」といわれ、また同月一三日夜右大野より復職願を書面で提出するようにいわれて前記所沢保健所の診断書を添えて大野に復職願を手交した。しかし申請人は前記大野の言葉もあつたので会社からの復職の通知を待つていたところ同月二四日午后八時すぎ大野が申請人方を訪れ、組合と会社の労使双方の決定事項の報告だとして「申請人の希望していたミシン補修の職場は三月一杯でなくすことにして人員を整理しつつある。ところで、協約によると原職に復帰するのが建て前になるが、申請人の場合は原職に復帰することもできない。それで申請人に会社を辞めて貰いたい。この際辞めて貰えば退職金は割り増ししてもよい。」旨の申入をしてきた。申請人は、大野係長心得の前記一二月一三日迄の話とその日の話の内容があまりにも異り納得できなかつたので、昭和三九年一月一一日大野係長心得と話合い、申請人が退職して欲しいということは労使双方の協議決定事項か、又本当に退職金を割り増してくれるのかを確認しようとした。ところが大野は「退職金を割り増す」とは云わない等と応待するので、申請人も退職する意思がない等と応じ、結局話がつかないままその日は別れた。そして、申請人は翌一月一二日、申請人の荷物寝具等が休職前の状態で置いてあつた会社の寮に、同室の者の了解を得て宿泊し、翌一三日午前八時三分前ごろ申請人は現場に行き、組長の神山に「今日から働きたい」と申入れ同人から「こわし」のきれをもらつて糸抜きの作業を始めたところ、これを知つた現場担当の水村課長が八時二〇分頃やつてきて申請人に対し強い言葉で「お前は誰の許可を得てはいつて来たのだ」「ちやんと労務の許可を得て筋をとおして来なさい」などといい、申請人は坐つたまゝでこれに応じないでいたが再三現場より出るように云われ、結局一〇分位して立ち去つた。そしてその日に申請人は労務課に呼ばれて面会室で水村課長、大野係長心得、その他二、三人が集つた席で会社側の者から「職制無視もひどすぎる。勝手な行動をとつては困る」等の厳重な注意を受け更に休職処分中の者が手続を経ずに且会社の許可なく勝手に寮に起居し業務に服することがないようにという趣旨の通達書を手渡されたが、申請人は自分の復職に対する会社側の態度に感情的になつていたのでこれを納得するだけの余裕がなく右通達書も手で折りたたみ捻つてしまつた。そして申請人は手洗に行くといつて席を立つたまゝ戻らず、寮の方に行つて、あとを追つた大野の再三の帰る様にという要求にも応じないで寮内を逃げまわり大声でわめき散らしたりした。しかし、そのうち終業のベルが鳴つたので、結局大野は引き上げ、申請人はその夜寮に泊り翌早朝家に帰つた。一方会社側では、当時会社内に申請人が守田織物工場に働いているという風評があつたので、一月一三日午前中北村取締役、山田組合長他二名が右守田織物工場を訪れ申請人の就業した事実を確めた。そして翌一月一四日会社側委員四名、組合側委員四人による賞罰委員会を開き業務命令に従わず会社の秩序を乱したことと、前記申請人の守田工場での仕事を二重就職と認めたうえこれを理由として申請人を懲戒解雇に附する旨の提案をし意見を求めたところ、懲戒解雇に賛成のもの七名、普通解雇を主張した者一人ということになり結局賞罰委員会としては懲戒解雇にすることに賛成した。そして、その際組合側委員の方から申請人に対し通常解雇の際に支払われるべき退職金相当額を支払つて欲しいとの要望があり、一月一七日会社の禀議を経た結果前記理由で申請人を一月一四日付で懲戒解雇するが、退職金は普通解雇に準じて全額支払うことが決定されるに至つた。

以上の事実が認められ疏乙第八号証の一ないし三、同第一五号証の二、同第一六号証、証人北村士守(第一回)、同水村忠夫の各証言ならびに申請人本人尋問の結果中右認定と趣旨を異にする部分があるけれども右は採用できない。

三、申請人の不当労働行為の主張について

申請人は、本件解雇は、申請人の組合内部における活動や、労使協調をいう組合とは離れてこれに批判的な外部の労働者と交流しその影響力を会社にもちこむことを会社組合ともにおそれてなしたもので不当労働行為であるという。

しかして証人小畑充子、同中村トミ子、同田中節子の各証言と申請人本人尋問の結果並びに右小畑・中村の各証言により成立の認められる疏甲第一五号証、弁論の全趣旨によつて成立の認められる疏甲第二〇号証と弁論の全趣旨によれば

組合は昭和三一年一二月結成されたのであるが、当初は会社は組合の結成を喜こばずこれを阻もうとしたけれども、組合が全労の指導下に結成されるということを知つて諒解するに至つたものであり、その後も全労系に属しないいわゆる民青に従業員が加入することは歓迎しなかつた。組合もまた、積極的に民青を論難し、全労系に属しない労働者と組合員との交流を企図すれば、これを阻止しようとする動きがあつた。ところで申請人は組合が結成された頃、同僚数名とダンスサークルを作り、やがてこれが組合の文化部の正式機関の中のダンス部として認められると共に、その部員となり後には部長もやり組合員のダンスの指導にあたつたが、これは組合内部だけの活動にとどまらず組合内有志と共にダンスを通じて外部との交流をし、これら外部のものが全労系に属しなかつたところから、組合は積極的に反対し、家庭を訪問し注意を促すということもあつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人山田泰宏、同北村士守(第一回)の各証言は採用できない。

しかしながら、申請人が以上認定のような外部との交流について会社から干渉を受けたことのないことも申請人本人尋問の結果により認められるところであつて、このことと申請人が当初の休職後解雇の意思表示をうけるに至るまでの前認定の経過に徴すれば会社において申請人が民青に加入しているものとして、或は民青等全労系に属しない外部団体の労働者との接触を嫌つてその故に右解雇の意思表示をなすに至つたものと認めるのは相当でなく、むしろ前認定の申請人の復職要求後の前認定の行動が契機となり他に就職したとの事実をもとらえて懲戒の要ありとするに至つたものとみなすべきである。

しかるところ、他に右の判断を左右すべき疏明資料のない本件においては、申請人の前記ダンス等の活動が広い意味では組合活動に含まれるとしても、本件解雇を不当労働行為に該るものとすることはできない。

四、次に被申請人主張の懲戒解雇事由の存否について

(一)  二重就職について

被申請人は申請人が昭和三八年一一月中守田織物工場に就職し右は就業規則に懲戒解雇事由として定める二重就職に該当するという。

しかし前記認定によれば、申請人は休職期間中近くの守田織物工場の主人の守田某に手伝いを頼まれ、かつは自らの体を慣らす目的もあつて昭和三八年一〇月下旬頃から一一月上旬頃、約一〇日間一日二、三時間位糸干し、糸繰り等に従事し、その謝礼として金一、二〇〇円を右守田から貰つたものであるところ、就業規則において二重就職が禁止されている趣旨は従業員が、二重就職することによつて会社の企業秩序を乱し、或は従業員の会社に対する労務提供が不能若しくは困難になることを防止するにあると解され、したがつて右規則にいう二重就職とは右に述べたような実質をもつものをいい、会社の企業秩序に影響せず、会社に対する労務提供に格別の支障を生ぜしめない程度のものは含まれないと解するを相当とするから右認定の就労の目的、期間、労働条件等からみて、該就労は、右規則にいう二重就職にあたらないものと解する。

したがつてこれを懲戒事由とすることはできない。

(二)  会社の規律秩序を乱した事実について

被申請人は申請人が昭和三九年一月一二、一三の両日会社の寮に無断入寮宿泊し、かつ一三日には無断で就業したから新協約第二九条にいう会社の規律秩序を乱したものであるという。

(1)  証人北村士守(第一回)、同染谷仁三、同小畑充子の各証言によれば会社は現場工員については特別の例外を除いて全員会社の寮へ入寮する制度を採つており、右の入寮、退寮については特別の内部規約はなかつたが、その許否は会社の労務課の所管に属していたこと、さらに病気休職中の者が入寮するについても、従来の取扱によれば会社の承諾を得ることになつておつたことが認められる(右認定に反する申請人本人尋問の結果は採用できず、他にこれを左右するに足る疏明はない。)。しかるところ、申請人が昭和三九年一月一二日会社の寮に宿泊したことは前記二で認定したとおりであるがその際右にいうところの入寮手続を経たことについてはこれを認めるに足る疏明がないから無断で入寮宿泊したというほかなく更に同月一三日にも予め会社から無断で入寮してはならない旨の通達を受けとつていたにも拘らずあえて入寮し宿泊したことも前記二で認定したとおりである。

(2)  申請人が一月一三日午前八時三分前頃、会社の承諾を得ずに出勤し、職場でレースの「こわし」の布の糸抜き作業を始めたので、報告を受けた労務の水村課長が職場に出向き、申請人に退去を命じたが容易にこれに応ぜず何回か退去を強く命じられた結果、一〇分位後職場から離れたことは前認定のとおりである。ところで職場に出て来ての就業に際して会社の承諾を要することについては申請人本人尋問の結果によつても明らかであり、更に証人北村士守(第一回)の証言によれば、病気で休職中の者が会社に復職して就業する場合は労務課で就業の手続をして、労務課の指図で現場にまわる取扱になつており、この取扱は一週間位の病気欠勤の場合でも同様であつたことが認められる。

以上の認定によれば申請人の(1)の無断入寮、宿泊、(2)の無断就業はいずれも会社の規律秩序を乱す行為というべきであつて、成立に争いのない乙第一号証によつて認められる昭和三八年一二月二七日より発効した(新)協約が懲戒事由として定める第二九条第六号後段にいう会社の規律又は秩序を乱した場合に該当するものというべきである。

(三)  以上のとおり申請人には被申請人のいう会社の規律又は秩序を乱したという点において懲戒事由があつたといわなければならないのであるが、右協約第三〇条によれば懲戒事由ある場合であつても、懲戒解雇のほか、降職・出勤停止・譴責等による懲戒が定められているのであるから、懲戒事由があつても、その軽重により懲戒の種類を定めるべきものとされていると解すべきである。したがつて、懲戒解雇に値いしない程度の懲戒事由によつて懲戒解雇するもこれは無効としなければならないから、次に、右認定の懲戒事由が解雇に値いするものかどうかさらに検討を加える。

そこで申請人の右無断入寮・宿泊・出勤の事情をみるに、前記二で認定したとおり、申請人が再三復職を要求したに拘らず、会社幹部は、申請人の療養継続を勧告し或は、申請人の従前の職場が整理されつゝあるとか、他に適切な職場を探すなどといつて直ちに作業に就くことを承認しないで日時を経過し一方においては割増金を支給すると称して退職を勧めながら後に至つては割増金についてはこれを否定するという状況であつたことが認められるので、申請人が前述のような行動にでるに至つたのは会社の態度に不信を抱き、敢て出勤するときは復職を承認するであろうとの考えにでたものと推測できるのである。このような申請人の心情のもとで前述のように会社の意図に反して行動したからといつて、軽卒であり穏当を欠くとのそしりは免れないにしても強く責められるべきものとはいえない。なるほど前認定のように無断で職場に入つて上司と押問答を繰返し、或いは寮の中を大声をあげて走り廻つたりしたことは女子従業員の多い職場・寮であるから、他の一般工場寮とは異なつて評価さるべきではあろうが、このことも、会社の業務に著しい支障を来たしたことを認める疏明はないのであるから、申請人が健康を充分に恢復していたとはいえなかつたことや、出勤率の低いことを考慮に入れても企業から懲戒として直ちに排除しなければならない程重大なものということはできない。

被申請人は、通常の退職の場合と同様申請人に対し退職手当を支給したことをもつて右の情状として勘案さるべきであるというけれども、懲戒として解雇する以上、被申請人主張の事実があつても右の判断の妨げとはならない。

よつて、この点において本件解雇の意思表示は無効とすべきである。

五、申請人主張の復職について

申請人は労働協約(旧)第二三条本文により、申請人が昭和三八年一一月三〇日口頭でなした復職申出により復職したと主張し、被申請人は疾病休職の場合は同条但書により会社の指定する医師の診断書を添付して復職申出をしない限り復職とはならないと反論するので次に判断する。

(一)  労働協約(旧)第二三条の解釈

労働協約は労使間の規範であるから、労使双方の意図・沿革は協約解釈に当つては補充的機能は営むにしても元来客観的に解釈されなければならない。よつてこの見地をもつて成立に争のない乙第二号証によつて昭和三八年一二月二六日まで効力を有していた会社と組合間の労働協約(旧)をみるに、第二一条において休職事由を列挙し第二二条においては休職事由ごとに各休職期間を定めているけれども、第二三条本文は「休職期間が過ぎた者又は休職期間中であつても、その事由が消滅した者は会社は復職させる。」と規定するのみであつて休職事由ごとに区別する趣旨の文言・形式をとつておらず、同条但書も「但し休職期間中であつても、会社の医師が就業可能であると認めたときは、会社は復職を命ずることができる。」と規定し、この文言からすれば、同条但書は疾病による休職の場合休職期間中であつても会社が復職を命ずることのできる例外を規定したものと解せられる。勿論、疾病による休職の場合、単に休職者の申出によつてのみ休職事由の消滅したものとすることのできないことは当然であるから、休職事由の消滅を認定する資料として医師の診断書を必要とすることはいうまでもないので、疾病休職者の復職申出については医師の診断書の添付を要すると解すべきであろう。しかしながら、会社の指定する医師の診断書でなければならないとする合理的根拠は発見できないから、前記第二三条但書のみが疾病による休職者が復職する場合の手続を定めたものと解しなければならない理由はないので前述のように例外規定と解して差支えないと考える。被申請人は以上のように解するときは会社が一方的に個人に受診を命ずることを許すことゝなり憲法の精神に反するというけれども、もとより、会社が当該休職者に対しその意に反しても受診させることを許すものと解することにはなるのではなく、医師が就業可能であると認めない限り復職を命ずることができず、したがつて復職しないことによる不利益を課することができず、一方、休職者もその要件を満たさない限り、期間中の復職が認められないということにとゞまるのであつて、これに反する前提に基く被申請人の見解は採用できない。

(二)  申請人が昭和三八年三月一一日より椎間軟骨ヘルニアのため休業療養し同年九月一一日、会社より労働協約第二一条に定める期間一年、無給の休職処分を受けたが昭和三八年一一月三〇日会社に対し当時通院中の佐瀬医師の診断書をそえて同年一二月一日より復職の請求したこと前認定のとおりであるから、協約(旧)第二三条本文により休職事由消滅している限り会社は復職を承認しなければならない。

そこで本件の場合に右事由が消滅していたかどうかについて判断する。

前記二で認定した事実によれば申請人は右退院当時すでに痛みはなくなつていたが、退院した時より起算して少くとも六か月間は軟性のコルセツトをしていなければならず、又相当期間通院加療を要する状態であつて昭和三八年一一月一三日付の右佐瀬医師の診断書も「就業可能なるも軽作業に従事」の旨の記載あること明らかであり、証人佐瀬昭の証言によれば、右にいうところの軽作業とは従前の職務よりも軽度の作業を意味し、これを申請人についてみれば、従来よりも腰を使わない仕事を意味することが認められ(右認定に反する疏明はない)、さらに成立に争いのない疏乙第七号証によれば申請人が一二月一三日に書面で復職願を提出したる当時においても申請人の身体の状況は半日位の坐業が出来る程度であつたことが窺われ(右認定に反する申請人本人尋問の結果は採用出来ない)る。ところで休職処分とはある従業員を職務に従事させることが不能であるか若しくは適当でない事由が生じた時にその従業員の地位をそのまゝにし、職務に従事させることを禁ずる処分であるから病気休職者が、復職するための事由の消滅としては従前の職務を通常の程度に行える健康状態に復したときをいうものというべきであるところ、申請人の従前従事していたミシン補修の仕事は足踏ミシンによるミシン刺繍であつて相当度腰を使うものであることは申請人本人尋問の結果により認められるから(右認定に反する疏明はない。)前認定の病状回復をもつてしては従前のミシン刺繍の仕事に従事出来る程度の回復とは認めがたく、右認定に反する申請人本人尋問の結果は信用出来ない。

したがつて申請人の昭和三八年一一月三〇日に病気休職の事由が消滅していたとの主張は採用できない。

(三)  更に申請人は昭和三九年二月頃には通院の必要もなく健康体に回復していたから三月以降は復職したことになると主張する。

証人佐瀬昭の証言、申請人本人尋問の結果によれば申請人が二月一杯で佐瀬病院に通院しなくなつたのは、必ずしも病状の回復のためではなく、本件の問題のため、右病院に行きにくくなつたものであることが疏明され、右認定に反する疏明はない。したがつて他にその頃病気が回復したことを認めるに足る疏明もないから申請人の主張は理由がない。

六、以上のとおり申請人の復職申出によつて休職が解かれたものということはできないのであるが、申請人の休職期間は昭和三八年九月一一日より起算し労働協約(旧)第二一条に定める一年の経過をもつて新協約(乙第一号証)第二三条に従い会社は復職させなければならないところ、被申請人は、就業規則第一三条により当然退職したことになると主張する。成立に争いのない乙第一〇号証によれば会社は就業規則第一三条をもつて「従業員が次の各号の一に該当するときはその者を退職させ又は解雇する。この場合次の(2)(4)(5)(6)(7)(8)号については三〇日前に予告するか又はこれに代る予告手当を支払う。」と定め、その(8)号事由として「休職期間が満了してその期間の延長とならないときまたは延長された期間が満了してなお就業することが出来ないと会社の指定する医師が診断したとき」と規定していることが明らかであるけれども、休職処分とはある従業員に職務に従事させることが不能であるかもしくは適当でないような事由が生じた場合にその従業員に対し、従業員の地位は現存のまゝ保有させながら執務のみを禁ずる処分であるから休職期間が満了したときに当然復職することが前提となつているというべきであつて前記就業規則第一三条の規定が、休職期間満了の場合にも自動的に退職となることを規定しているとするならば、休職処分の趣旨に反し就業規則に優先するところの労働協約に抵触し、その限度において効力を生じないものというべきである。

よつて被申請人の主張は採用しがたく申請人は労働協約(新)第二三条本文の規定により休職期間の満了に伴い昭和三九年九月一一日より復職したものというべきである。

七、申請人の賃金が毎月二五日払で一か月金一万八、一五〇円であることについては当事者間に争いがないところ、右認定したように申請人は昭和三九年九月一一日復職したのであるから同日より賃金請求権を有するものというべきである。

八、以上述べたとおり、会社のなした解雇は無効であつて申請人が会社の従業員たる地位を有するにも拘らず、会社より解雇されたものとして取扱われることは労働者である申請人にとつて著しい損害であるというべきであるから意思表示の効力を停止する仮処分の必要があるものというべきであり、さらに賃金の支払を求める部分については申請人はその収入源である賃金の支給をたたれては生活の途を失い本案判決の確定をまつては回復することの出来ない損害を蒙るおそれもあることは申請人の本人尋問の結果によりこれを認めることができ、他に右認定に反する疏明はないからこれについても仮処分の必要あるものというべきである。

九、よつて申請人の本件仮処分申請のうち、本件解雇の意思表示の効力を仮に停止し、かつ昭和三九年九月一一日より同月末日までの賃金一万二、一〇〇円(月額一万八、一五〇円であるから一日当り六〇五円の割合による二〇日分)および同年一〇月一日より本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金一万八、一五〇円宛の支払を求める範囲においてこれを認容し、その余は失当として却下することとし、申請費用の負担については民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引末男 鈴木之夫 湯坐博子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例